原発はいらない 核兵器のない社会を

 7月22日、さいたま市南浦和のさいたま市文化センターで、原水爆禁止埼玉県民会議が主催する「被爆 78周年反核・非核交流会&埼玉県非核平和行進」が開催されました。

 集会では、「私たち一人ひとりが平和の思いをより強くするため、当事者に学ぶことが重要だ」との埼玉県平和運動センターの前原議長の主催者あいさつに続いて、埼玉県原爆被害者協議会の木内恭子さんがお話されました。

 木内さんは現在87歳で、78年前9歳の時に爆心地から1.5㎞の地点で被爆しました。当時広島には市内に約35万人が生活していましたが、そのうち14万人が12月までに死亡したと推計されています。負傷者も8万人を超えています。木内さんは、閃光を浴びて気絶したあと、「焼け爛れて衣服もボロボロになった見知らぬ人に自宅まで送り届けてもらったが、それが自分の兄だということにまったく気づかなかった」とはなし、人が人でなくなってしまう原爆被害の悲惨さの一端を語りました。終戦後、「命にかかわる仕事」として看護師の道を選び、常に健康不安におびえながら生活してきました。「悲惨な原爆の被害を2度と繰り替えしてはならない」との強い思いを語りました。

 次に、福島原発事故避難者の河井加緒理さんがお話されました。河井さんは29歳の時に福島県いわき市で被災し、「とにかく子どもの健康のために逃げなければ」と当初は栃木県内の避難所で生活しました。いわゆる「自主避難」である河井さんに対し、「好きで避難しているんでしょ」と冷たいことばを浴びせる人もおり、避難所も閉鎖され現在は埼玉県内で生活をしています。

 「東電と国の責任が認められない限り、自主避難は自己責任になり、偏見のまなざしは続く」「子どもを守りたいと避難し、どうしようもない結果として私たちが今ここに住んでいることの正当性を認めてほしい」と訴訟団に加わり裁判闘争を行っています。河井さんからは裁判闘争への傍聴支援の呼びかけもありました。

また、集会では県内各地で開催されている「原爆絵画展」の紹介や県内2コースで実行される反核平和の日リレーのとりくみも報告されました。

集会後、埼玉県平和行進が実施され、参加者は文化センターから南浦和西口までのコースを35度を超す真夏の暑さの負けず元気に行進しました。


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