沖縄だより その4 

 11月に入り、涼しい風が吹き始めました。今月は2度フィールドワークに参加しました。
 22日は恩納村の創価学会研修道場内の核弾頭ミサイル発射基地跡と第二護郷隊の碑を巡りました。核ミサイルメースBが1962年のキューバ危機に、臨戦態勢に入っていたのです。発射基地は県内に4か所。創価学会の判断でここだけが残されました。もし、ソ連や中国に発射されていれば、今の沖縄(日本)は存在しなかったでしょう。背筋が凍る思いです。護郷隊とは、沖縄戦終了後のゲリラ戦のために、陸軍中野学校でスパイ戦などを学んだ将校下士官が、教員などと偽って15,6歳の少年を組織し、本土決戦の時間稼ぎに戦わせた部隊です。慰霊碑には,悲惨な死を強いられた少年たちの名前が多数刻まれています。 沖縄戦では南部戦線が有名ですが、少年兵が北部で戦っていたことも記憶に刻みたいものです。そこは、軍による住民虐殺や負傷少年兵の始末(銃殺)も行われた地獄の戦場でした。
 30日は沖縄市のキャンプヘーグ跡地でのワーク。ここはCIA管轄の米軍基地で、核榴弾砲による被曝事故が起こり、米兵が被曝。除染した大量の汚染水が海に流された疑惑があります。住民の居住地も近い基地での重大事故が、未だに秘密にされたままです。これらは返還前の事件ですが、今、辺野古で作られている弾薬庫の構造が、核貯蔵可能な設計になっているそうです。明らかに「非核三原則」の改悪につながる動きです。
 沖縄で生活していると、本土では見えなかったものが見えてきます。しかし、あまり厳しい現実ばかり追いかけるのはつらく、那覇の劇場で映画や舞台、そしてライブなども楽しんでいます。明日の活力のために沖縄のチャンプルー文化にも浸ります。


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