「日教組人権教育実践交流会に参加して」(その 1)

 2019 年 11 月 23 日~ 24 日に、日教組人権教育実践交流会が熊本県玉名市で行われました。初日の地元報告は、「『水俣病』を通して学んだこと」と題して、水俣・葦北公害研究サークルに所属し、熊本県内の小学校に勤務するの梅田さんの講演が行われました。

水俣に暮らしながらも中学・高校と、郡部をひとまとめにする言い方があって、「水俣病」の水俣出身と言われないことに「ほっとしている自分」がいたこと。関東の大学に進学し、出身を聞かれると「九州」「熊本」「水俣」といった順で最初からストレートに「水俣出身」と名乗れなかったこと。同和教育に真剣に向き合う先生方との出会いを通して、

「水俣病」とどうむきあってきたのか、受け持った子どもたちに一度も話してこなかった自分に気づいていきます。それは、同和教育をしていたものの、自分と重なっていない「同和」教育だったと語りました。

「水俣病」・患者との出会いを通して、「真実をありのままに伝えて欲しい」「公害を教えるのでなく、公害を出さない教育をして欲しい」と問われ、人の痛みが分かる心の教育だと思うようになってきたこと、「水俣から逃げる教育ではなく、水俣を誇りうる教育をして欲しい」と訴えられ、それは自分のふるさとをしっかり見つめ、向き合いながら生きていく生き方を学ぶことが大切と自覚していきました。そして何より「ふるさとが『水俣』だからこそ、自分に教えてくれることがあり、それを見つけることが大切と考えるようになり、水俣が好きになったと語ってくれました。月一回の水俣・葦北公害研究サークル例会は500回に及び、患者団体や支援団体と歩み、学んできたことが説明されました。

水俣病患者や家族の苦しみは「病気そのものの肉体的・精神的苦痛」に加え、周りからの様々な差別(地域、市民の排除・チッソの事実隠しや企業によって潤う地域市民の感情、 行政の政策の不十分さ、水俣病がうつるとする偏見、水俣に行きたくないことから起きた様々な差別事件)で、水俣病患者や家族の誇りや人間としての権利が破壊され、奪われてきました。患者認定をしないまま1995年村山内閣時に謝罪談話で「政治決着」が行われ、2004年国の責任を認める判決がだされ、2009年水俣病被害者救援法が成立、

2013年救済に漏れた人たちが「認定基準」や被害地域「線引き問題」で提訴し、最高裁は一つの症状でも患者を認定できるとの判決にもかかわらず、環境省が2014年指針でも、認定の幅はまだ変わっていません。揺らぐ患者認定で多くの患者や家族は今も苦しんでおり、解決はまだ遠いと述べました。

「自分と重なっていない同和教育」をしていた

梅田さんは「自分と重なっていない同和教育」をしていたと振り返りました。その意味をもう一度整理すれば、自分が一番しまい込んできたことの中に、「差別との出会い」がある。差別を「自分ごと」としていくためにもその「言えなかったこと」をとらえ直すことで、同和教育・人権教育は深まりをます。目の前の子の内包する痛みと自分がしまっていたことが重なると、「寄り添う」深さも変化する。何を伝えたいかはっきりしてくる。自分の課題としてとえる人権教育にしてほしいという講演者の願いが伝わってきました。

(次号に続く)

また、今回青年部枠で参加した南支部の信楽さんからは次にような感想が寄せられました。

「今回初めて日教組の集会に参加しました。全体会では、水俣病を通して命の尊さや家族

の絆を、分科会やフィールドワークでは、部落問題学習や部落差別と向き合うことで人権について学ばせていただきました。それぞれの言葉の重みを教えていただき、無知である自分に気付くことができました。様々な問題を考える中で、自分や家族と重ねて話を聞くことで、自分事として時に心が痛み、時に勇気をもつことができました。このような貴重な機会をいただいたことに感謝しております。この経験をこれからの自分自身の学びにつなげ、精進して参ります」

 


 

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