率先して主権者教育を推進しよう

いよいよ7月の参議院選挙が近づいてきた。わが国で初めて18歳の選挙権が行使される。それに対し、文科省、教育委員会、高校現場では、様々な、まさに対処法がなされつつある。教員による「政治的中立」をことさら強調し、政権筋に有利に働かそうとする思惑が見え隠れする中、表向きの「選挙に行こう」キャンペーンが行われている。
かつて、高校生を政治活動から遠ざけるために、文部省は1969年、高校生の政治活動を内外問わず禁止した。今度、それを見直しはしたものの、教員の個人的な見解を禁止し、教員の影響力を排除したいといった流れが色濃い。
文科省筋が、政治的中立性を根拠に教員の意見表明権や個人的権利を抑制しようというのは、彼らが、教育というものを上からの押し付け的な「教化」と誤解しているからである。一つの答え(正解)にいかに近づかせるかということが教育であると勘違いしているのではないのかとの疑念がわく。
政治的中立性の確保は、確かに必要なことではある。しかし、政治的中立をいうことが、「政治は、政治家の任せておけばいい」といった政治的無関心を助長したり、やみくもに多数派に依拠してしまうといった風潮を作ってはならないはずである。教員に関していえば、目の前にいる子どもたちが、将来、主体的に主権を行使できる大人になるために努力しなければならないし、そのような努力に対し、権力筋からストップがかかるような圧力が加わっては、民主主義に反する。主権者である国民の問題を政治から切り離して考えるような風潮はやめさせなければならない。
イギリスなどでは、教員の役割を明確に位置づけている。「シチズンシップ教育」を必修教科とし、「論争的問題」を扱う題材とすることを求めるとともに、授業の際の教員の役割を明示し、政治的中立性を確保するように工夫している。ドイツでは、「教員は、議論の中で個人的な見解として、自らの意見を表明することができるが、それが生徒を圧倒し、唯一の意見や見解として受け止められたり、成績評価の基準になってはならない」としている。何事も教員の言う通りとは、右であろうと左であろうと、教化主義そのものであって、論外である。
世界中の人々が、平和で民主的な社会を形成できるような主権者教育が求められている。主権者教育として、憲法教育・労働者教育・消費者教育などの法教育や政治的判断力を育成する政治教育、情報選択能力や情報発信力などを育成するメディアリテラシー教育などを、私たち現場教職員が努力して小中学校の学校現場からつくりあげていこう。

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